うみへ日記

日本の古典を硏究してゐます。YouTube「神社のお話」といふチヤンネルもよろしくお願ひします。

【神社のお話】稲荷神社②秦氏の来日【神社編】を公開


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神社のお話チャンネルに新しい動画を公開しました。今回は稲荷神社の奉斎氏族である秦氏という帰化系氏族が日本に来た経緯などを扱っています。秦氏は何かと謎が多い氏族といわれ、多くの人が議論していますが、色々な意見を伺っても実態はなかなか分りません。

そこで自分なりに調べてみました。(ここからネタバレ注意󠄃)秦氏が稲荷神社を祭る話は出てきませんが、秦氏という氏族に焦点を当てて特集しました。応神天皇の御代頃に来日し、雄略天皇の御代に有力化したであろうという結論です(ネタバレ)。

動画を見て質問等あれば、コメント欄をご利用ください。また、チャンネル登録もよろしくお願いします。

次回豫告 稻荷神社② 秦氏の来日

次回の「神社のお話」は、稲荷神社創建に深くかかはつた秦氏について特集します。秦氏は外国出身で日本に帰化した氏族です。子孫は稲荷神社の神職を勤めてゐます。この秦氏について知らなければ、稲荷神社の事は分かりません。

しかし、秦氏の来日當時の事情は史料が少ないため、なかなか分かりません。『日本書紀』や『古事記』、『古語拾遺󠄃』、『新撰姓氏錄』などをもとに考へて行きます。

【神社のお話】稲荷神社①【神社編󠄃】を公開しました。

神社のお話の新しい動畫を公開しました。今回は稲荷神社を特集しました。一回では終はらないので、これから何回かに分けて見ていきます。次回は稲荷信仰のはじまりを見ていかうと思ひますが、秦氏の説明だけで終はると思ひます。一回の動画の時間を5分以内にして早く更新できるやうにしますので、今後ともよろしくお願ひします。

 


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次回豫告 稻荷神社

蘇民将来について解説しましたが、最後のまとめ方がいまいちであつたと思ひます。簠簋内伝をもう少し解説すべきでした。

 

次回は稲荷神社を特集します。しかし、一度ではをさまりきらないでせうから、秦氏との關係を中心に奈良時代までを扱ひます。

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 稲荷神社

 

 

陰陽道編第1回「蘇民将来」公開

 お待たせしました。陰陽道編の第1回として「蘇民将来」を公開しました。世界を震撼させてゐる新型コロナウイルスの蔓延を考へる上にも、今回は日本人と疫病の関係に思ひを致すべく、行疫神信仰に焦点を当ててみました。また、「神様のお話」から「神社のお話」にタイトルを変更しました。

 

春になつて住む場所が変はり環境に恵まれず、制作には苦労しました。環境を徐々に整へてどんどん更新できる体制を構築したいです。今のところ月に1度が限界です。申し訳ございません。

YouTubeチヤンネル「神様のお話」を始めました。

神様のお話

といふYouTubeチヤンネルを始めました。神道󠄃に關する事柄を叮嚀に解說󠄁いたします。是非立ち寄つてください。まだ駆け出しですから、編集も音聲收錄も拙いですが、徐々に良くしていかうと思ひます。

 

日本書紀

古事記編󠄃

陰陽道

傳統習俗編󠄃

神社編󠄃

等を企画してをります。

 


【神様のお話】天地開闢【日本書紀編】

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十七 天平󠄃賀(あめのひらか)

天平󠄃賀(あめのひらか)。天神の訓へに從ひ、土師物忌父宇仁(うに)の埴土(はにつち)をとつて、天平瓦を造る。諸󠄃神を敬祭し、宮ごとに八十口。柱のもとや諸々の木の下に置く。これは天下泰平の吉瑞である。諸󠄃神が寶器を受け入れるのである。

 

時に大佐々(おほささ)命、乙乃古(おとのこ)命勅宣を蒙つて仕へ奉る。己酉歲󠄄。乙乃古命の次男大神主飛鳥記す。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十六 心の御柱

心御柱一名天御柱。また天御量柱。

所謂、天の四德、地の五行にかなひ、徑四寸、長さ五尺の御柱である。五色の絹を以て覆ひ、八重榊で飾り申し上げる。これぞ、伊弉諾伊弉冉尊󠄄の鎭まる所󠄃である。陰陽變通の本基である。諸󠄃神が化生した心臺である。すべて天の心に合つて、木德を興す。皇化󠄃に歸して國家を助ける。ゆゑに皇帝の曆數天下の固め。永遠に動くことなく、三十六禽、十二神王、八代龍神が常に住んで守護してゐる。損傷すれば必ず天下に危機が起こる。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十五 棟梁の文様

寶宮の棟梁の天表(あまつみしるし)の文樣

天照太神宮の形は日天尊󠄄位を象る。

止由氣太神宮の形は月󠄃天尊󠄄位を象る。

天神地祇八洲を輝かし、形體を利す。ゆゑに皇天は永遠にをられ、日月を配して地上の昏衢(こんく)を照らす。國家天地と共に天皇の御代は長久である。天眞の明道である。鬼神の變通である。人民は幸甚幸甚。

東西左右すべて四十四座。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十四

聞くところによると、天地が分かれず、陰陽が分かれてゐない時を混沌と名づける。萬物の靈は封じられて虚空神と名づく。また大元の神といふ。また國常立神といふ。またの名を俱生神といふ。奥深い道理、萬物の源泉をなす氣がさかんな中、虚でありながら靈がある。一であり體がない。ゆゑに廣大な慈悲を發する。自在神力において種々の形を現し、種々の心の動きに順ひ、方便利益をなす。表れた名は大日孁貴といふ。また天照大神といふ。萬物の本體であり、萬品を度すことは世間でいふ胎兒が母胎に宿るやうなものである。

また止由氣皇太神月󠄃天尊󠄄である。地と地の間、氣の形質がまだ離れてゐない状態を渾淪(こんりん)といふ。顯現した尊形を金剛神といふ。化󠄃を生ずる本性である。萬物の惣體である。金は水にも朽ちない。火にも燒かれない。本性は精明󠄃である。ゆゑに神明といふ。また大神といふ。大慈本誓(ほんぜい)のままに、人ごとに思ひのままに寶をふらすこと、龍王の寶珠の如し。萬品を利すことは水德の如しである。ゆゑに亦の名を御氣都神といふ。金と玉とは萬の物の中で効用が甚だしい。朽ちず燒かれない。壊れず汚れない。ゆゑに名と爲した。内外表裏がない。ゆゑに本性である。いふなれば、人で金神の性を受けたものである。混沌の始めを守るべきである。ゆゑに神を敬ふときには淸淨が第一である。所謂、正に從へば淸淨であり、惡に隨へば不淨である。惡は不淨の物であり、鬼神のにくむ所である。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十三

皇天が倭姬󠄃内親王に託宣された。「それぞれの者󠄃たち、考へてみよ。天地が大冥の時、日月星の神姿を虚空に現した時のことである。神は足で地を履み、天御量(あまのみはかり)を中國(なかつくに)に建てて、来し方行く末、全土を見られた。天照太神は悉く高天の原を統治され、天統は輝き、皇孫尊󠄄(すめみまのみこと)は專ら葦原中國を統治されて、日嗣(ひつぎ)を受けられ、聖明の及ぶところ、平󠄃らかに屬さないものはない。宗廟社稷の靈、一を得て二無しの盟(ちか)ひ、百王の鎭護は甚だ明らかである。是を以て、人は天地に基づき命を續け、皇祖󠄃を祀り、德を示し、その根源を深く知り、祖󠄃神を敬ふ。四方の國より朝貢して来る者󠄃に天位の貴きことをみせしめ、大業を弘め、天下を明󠄃るくする。そもそも、天に逆らへば道󠄃なく、地に逆らへば德がない。本居から追ひ出され、根國に没落する。情を天地に齊しくし、思ひを風雲に乘せれば、道󠄃に從ふ本と爲る。神を守る要と爲る。澤山云はれてゐる雜說󠄁を除いて一心の基準を挙げ、天命を割り當て、神の氣を經驗し、理實は灼然となる。ゆゑに神を祭る時は淸淨を先とし、我が鎭めに一を得ることを念とする。神主部、物忌たちよ、諸󠄃祭の齋みの日には穢れ、惡事に觸れてはならない。佛法の言葉を用ゐない。肉を食べない。また神甞會の日に至るまで、新米を食べない。常に心を静謐に保ち、愼しみ掌を攝し敬拝し、齋み仕へる。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十二

また、神嘗祭の夜、宇賀魂の稻の靈を、初めて天つ水田の稻種の初穂を供進󠄃し、(赤丹穗にかむかひに)永遠の御饌と大神の廣前に山のやうに置き、讃える言葉を盡してお祭りした。天神がおつしやられた。「口女魚(黒鯛)と海鼠(なまこ)を供進󠄃してはならない」今に續くしきたりの起源である。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十一 日別朝󠄃夕大御饌祭

天照皇太神の御前󠄃に、御飯二八具、御水四もひ、御鹽(しほ)四杯、諸々の御贄類、御河の年魚等をお供へする。

止由氣皇太神の御前に、御飯二八具、御水四もひ、御鹽(しほ)四杯、諸々の御贄類、御河の年魚等を御供へする。

相殿神の御前に、三八具、御水六もひ、御鹽(しほ)六杯、諸々の御贄、年魚等をお供へする。

神主や物忌たちが祝詞を奏す。朝󠄃廷、天皇を永遠に堅固にお守りし、官人として仕へる人々、天下四方の國民に至るまで、平󠄃安にお恵み下さい、と申し上げ、拝み奉ります。天照太神に八度、止由氣太神に八度、伴󠄃相殿神に八度拝んで、天つ御量事(みはかりごと)靈妙な守りの言葉を以て寿(ことほ)ぐ。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二十 

これ以降、但波眞井石井(たにはのまなゐのいはゐ)に鎭(しづ)め移(うつ)した。水戶(みと)の神が仕へ奉つた。その後、眞井の原より止由氣宮の御井に遷し据ゑた。二所󠄃皇太神の朝の大御饌、夕の大御饌と八盛󠄃りに移し据ゑて、每日二度供進󠄃した。凡そ、この御井の水は干上がることがなく常に湧き出る。不思議なことはこの社以上のことはない。御饌以外のことに使つてはならない。また道主の子孫の大物忌の父が御井を清掃する。また、御井と御炊殿(みかしどの)との間の距離は百二十丈である。橋が十五丈である黑木丸橋。これは月ごとに修理し清掃する。雜人たちは通らず愼みてお仕へする。また天照太神が坐す南御門の御河の中嶋に、石畳を造り奉りて、黑木を以て御橋を渡し奉つて、止由氣太神の大御饌、伴󠄃神の御饌を供進󠄃した。三節󠄄祭ごとにこの橋を封鎖して、人は渡ることが出来なくなるので、潔齋をしてつつしんでお仕へした。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その十九 天村雲命の活躍二

御祖󠄃の天照皇大神、天御中主皇大神、正哉吾勝尊󠄄(まさやあかつのみこと)、神魯岐(かむろぎ)神魯美(かむろみ)尊󠄄が相談されて、おつしやられた。「様々な政治に必要なことを敎へたが、水取(もひとり、飲み水)のことをもらしてしまひ、また天下が飢餓に苦しむことになつてしまつた。どの神を天降りさせようかと考へてゐたが、丁度勇ましく登つてきたものだ。」とおつしやつて、天忍󠄄石(あまのおしは)の長井の水を取つて、澤山盛つて敎へられた。「この水を持つて降り、皇大神の御饌に八つ奉り、『遣水は天忍󠄄石の水』とおまじないをして、地上の國の水に灌(そそ)いで、朝夕の御饌に奉れ。」そこで、日向の高千穂(たかちほ)宮の御井を定めて崇拝し、奉仕した。