うみへ日記

日本の古典を硏究してゐます。YouTube「神社のお話」といふチヤンネルもよろしくお願ひします。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その十二 遷座の祝󠄃詞

神を讃美する祝󠄃詞を申し上げる、度會の山田原の地面の下の岩に太い宮柱を立て、高天の原に千木を高らかと聳てて、天皇の稱辭を盡くしてお祭り申し上げる、天照らす止由居(とゆけ)の皇大神の御前に、畏こみ畏こみ申し上げる。天照皇大神、神魯岐(かむろぎ)神魯美命(かむろみのみこと)のおつしやるままに、天の小宮(わかみや)の御殿をこの靈妙な宮地に遷し造󠄃り、今日御鎭座される樣を、どうか平󠄃かに安らかにご覧下さいと申し上げます。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その十一

また素戔嗚尊の孫大土祖󠄃一座、ちまたの神大田命一座、宇賀魂大年神一座を山田原の地護神と定め御祭りした。大土祖󠄃の御神體は鏡である。大田命の御神體は石である。宇賀魂の御神體は瑠璃の壺である。また御倉神。稻靈豐宇賀能賣命。宇賀能美多麻(うかのみたま)神。保食(うけもち)神。御神體は一床である。白龍を守護神とする。王子八柱が御同座してゐる。また酒殿神。和久產巢日神の子、豐宇賀能賣命(とようかのめのみこと)である。丹波竹野郡奈具社である。昔月󠄃殿より天降られた。姮娥(こうが)である。后舁(こうげい)の娘である。稻の精靈である。電光が變じた神である。五穀の種の化身である。保食神の分身である。よく清酒を釀す。御神體は石である。甕(かめ)をかたふきといふ。軍荼利夜叉神の化身である。すべての吉祥が瓶のなかにある。甘露の酒が溢れ、直會に集まつた人の萬病を治す延命の良藥である。また、大土祖󠄃(おほつちみおや)、宇賀魂を根倉の甕とする。星の神が酒を供す。今これを根倉甕といふ。宮中の大小の神々と四至神(みやのめぐりのかみ)たちを御鎭座申し上げた由を中臣祖󠄃(なかとみのおや)大御食󠄃津臣命(おほみけつおみのみこと)が稱辭を以てお祭り申し上げる。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その十

 天照太神の御託宣に依り、豐受太神の第一の攝神を多賀宮とした。伊弉諾尊󠄄が右目を洗はれ、生じた神を伊吹戶主神と號した。すなはち豐受大神の分身である。ゆゑに亦の名を大神荒魂といふ。止由氣宮に傍にお祭りした。御神體は鏡である。昔天鏡神が鑄造された三面の眞經津鏡があつた。一面は天御中主の寶鏡である。二面は伊弉諾伊弉冉尊が共に左右の掌に持つた鏡であり、日神、月󠄃神が生まれた寶鏡である。一面は荒祭神の御神體である。

 

また天照太神の相殿に坐す神二前を止由氣宮相殿の神である皇孫命に陪從させた。ゆゑに止由氣宮相殿と號して、東西に坐す。東が皇孫命であり、西が天兒屋命。御神體は笏であり、天つ賢木をとりそへる。太玉命。御神體は瑞曲玉である。但し東の御神體は常に西の相殿と竝んで鎭座してゐる。

 

以來天手力男神、萬幡豐秋津姬󠄂(よろづはたとよあきつひめ)命を天照皇太神の相殿の神とした。元々は御戶開神と號す。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その九

雄略天皇二十二年戊午の秋九月望月(十五日)。離宮より山田原の新殿に遷られた。御船代(みふなしろ)と御樋代(みひしろ)の内に鎭め申し上げた。樋代は天小宮(あめのわかみや)の日の玉座のよそほひである。故に天の御蔭(みかげ)日の御蔭(みかげ)と隱りますといふ祝言の緣である。船代は天の材木屋船の靈をいふのである。故に瑞舎を名づけて屋船といふ緣である。天の御翳日の御翳と隱り坐すは古い言葉である。天衣で覆つた。日小宮のよそほひの樣である。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その八

次に伊賀國穴穗宮に二日お泊りになつた。その時、朝夕の御饌であるが、箕(み)を造るための竹原と藤や黑葛が生ふる所三百六十町と、年魚(あゆ)をとる淵、梁(やな)を打つ瀨一所、また御栗栖三町を國造らが獻上した。よつて二所皇太神宮の朝夕の大御饌の料所と定められた。次に伊勢國鈴鹿の神戸に一泊された。次に山邊(やまのへ)行宮に一泊された。今壹志郡新家村といふ。次に渡相(わたらひ)沼木平尾に遷られて三箇月をられた。今離宮(たびのみや)といふ。夜な夜な天人が降臨して神樂を奉つた。今の世の豐明(とよのあかり)といふのはこれに由來する。來目命の子孫である屯倉の男女、童子たちが宴を開いた。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その七

お供された神は、中臣祖大御食津命(おほみけつのみこと)度會郡に鎭座する。御食社である。小和志理命(をわしりのみこと)事代命(ことしろのみこと)、佐部支命(さへきのみこと)、御倉命(みくらのみこと)、屋和古命(やわこのみこと)、野古命(のこのみこと)、乙乃古命(おとのこのみこと)、河上命(かはかみのみこと)、建御倉命(たけみくらのみこと)、興魂命(おきたまのみこと)、各々前後左右に從つて奉仕された。

 

大佐々命と小和志理命とは豐受大神の御神體をいただき、興魂命と道主命(みちぬしのみこと)とは相殿の神の御神體を戴いた。警蹕をあげ、錦の天蓋で覆ひ、日の繩を曳きはり、天のみ蔭、日のみ蔭とお隱ししながらの行幸であつた。この時に、若雷神(わかいかづちのかみ)が天の八重雲を四方に棚引かせ、御垣として、丹波國吉佐宮(よさのみや)から大和國宇太(うだ)の宮にお遷しした。ここに一夜留まられた。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その六

この時に、大若子命一名大幡主命である。御間神社の祭神である。使ひをやつて、朝廷に御夢の有樣を申し上げさせた。すると天皇はその日同じ夢を見られてゐた。「大若子の使ひよ、退きて徃き、鎭祭せよ。」とおつしやられた。この年、物部八十氏の人たち、手置帆負、彥狹知の二神の子孫を率ゐて、忌斧、忌鉏等を以て山の木材を採りはじめて、神の敎へに從つた。度相山田原の地形は廣大で麗しい。大田命は金石を以て地底に太い宮柱を立て、翌年戊午七月七日、大佐々命を擔當者として御鎭座申し上げた。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その五󠄀

雄略天皇二十一年十月朔、倭姬󠄀命に夢のお告げを受けられた。皇太神吾󠄀は天󠄀の小宮󠄀に坐す樣󠄂に、天下でも一座のみで坐したくない。御饌も安心して召し上がれぬ。丹波國與佐の小見比󠄀沼之魚井に坐す道主(みちぬし)の子八乎󠄀止󠄀女(やをとめ)の祀る御饌都神この止由氣大神は水󠄀氣の元の神であり、千變萬化して一水の德󠄀を受け、續󠄀󠄀命の術󠄀を生まれた。ゆゑに名を御饌都神といふのである。また古語で水の道󠄀を御饌都神といふのである。天照大神と止由氣大神とが一箇所に雙󠄀座される時に從ふ諸諸の神が饗󠄀を獻󠄀るのはそのためである止由氣皇太神をわが坐す國へつれて來て欲しい、と敎へられた。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その三

この時、天照皇太神と止由氣大神とは、輝きを合はされ、德󠄀をひとしくされてをられた。天上のよそほひの樣󠄂に一所に二座竝んでをられた。和久產󠄀巢󠄀日(わくむすひ)神の子の豐󠄀宇可能賣󠄀(とようかのめ)命、屋船稻靈󠄀神である。五穀を產󠄀んで、善󠄀い酒󠄀を釀し、御󠄀饗󠄀した。御󠄀炊󠄀(みかし)神である氷󠄀沼道主(ひぬのみちぬし)素戔嗚尊の孫である。またの名は粟󠄀御子神である。今の世に御󠄀炊󠄀物忌といふのは、このためである。三十六柱の竈(かまど)神を率ゐて、朝󠄀の大御氣、夕の大御氣を炊ぎ備へて御󠄀饗󠄀申上げた。丹波道主貴(たにはのみちぬしのむち)大日日(おほびび)天皇の子の彥󠄀坐󠄀(ひこいます)王子の子である。今の世に大物忌子といふのはこのためである。御󠄀杖代󠄀となつて、澤山の机に品々を供へて、神甞を奉つた。諸神が作られた神を祭る物、五穀が旣󠄀にととのひ、百姓は賑やかであつた。その功績が御濟󠄀みになると、天照大神は伊勢へと向かはれた。止由氣大神は高天原に戾られて、日之小󠄀宮(ひのわかみや)にをられた。その時、天津󠄀水影󠄀(あまつみづかげ)乃寶󠄀鏡を吉佐宮に留めおかれた。天地開闢の折、萬物は旣󠄀に備はつてゐたが、混沌の元を照らす物なく、ゆゑに萬物の化はある樣󠄂でなかつたのである。さうして時が下るにつれて、自づから尊さを失つたのである。時に國常󠄀立󠄀尊󠄀のお生みになつた神が、天󠄀の御󠄀量事󠄀により眞󠄁經󠄀津󠄀(まふつ)の寶󠄀鏡󠄀三面を鑄造された。まことにこれは自然の靈󠄀物であり、天地は感應した。この時に神明の道は明らかになつて、天文地理が自づと存在する樣󠄂になつたのである。ゆゑに鏡を作られた神を天󠄀鏡神と申すのはこのためである。そこで、天津神籬を魚井原(まなゐはら)に立てられ、黃金の樋󠄀代に祕藏した。道主貴、八小童󠄀、天󠄀日起󠄀命、豐󠄀宇可能賣󠄀命は御饌をそなへ、齋󠄀祭つた。その時に、高貴(たかぎ)大神が神勅を下された。「皇孫命の靈󠄀を大󠄀祖止由氣皇太神の前の社して崇󠄀めるのがよい。云々」。そこで相殿の神とした。御神體は鏡である。皇孫命は金の鏡である。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その二

崇神天皇三十九年壬戌、天照大神は但馬(たんば)の吉佐宮(よさのみや)に遷られた。その年、止由氣皇太神が秘密の契約を結んで天降られた。その時に大御食津臣命と建御倉命と中臣の先祖、屋船命(やふねのみこと)草木の靈である。今の度相郡に鎭座する淸野井庭󠄂(きよのゐば)神社である。宇賀之御魂稻󠄁女神(うかのみたまいなめのかみ)今小俣神社といふ。宇須乃女神(うすのめのかみ)五穀の神である。宇須󠄀野社といふ。須麻󠄃留賣(すまるめ)神今須麻󠄃留賣社といふ。宇賀之大土御祖神(うかのおほつちみおやのかみ)素戔嗚尊の子である。度相の山田原の地の衞り神である。若󠄁雷(わかいかづち)神今の世に北御門の大明神といふ、彥國見賀岐建與來(ひこくにみがきたけよく)命度相國見神社といふ。天日起命伊勢の大神主の先祖の神である。振魂命(ふるたまのみこと)玉串大内人の祖先である。が從つて來られた。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その一

この世界の始まりに、大海の中に一つの物があつた。浮かんでをり、形は葦の芽󠄄の樣であつた。その中に神がお生まれになつた。その神の御名は天御中主神である。故に豐葦原中國といふ。またそれによつて豐受皇太神と申し上げる。天照大日孁貴尊と八坂瓊曲玉八咫鏡、草薙劔の三種の神財を皇孫(瓊瓊杵尊)に授けられて、天璽(玉璽)とされた。「この寶鏡をみる時は吾を見るが如くしなさい。お休みになる時も、公務の時も離さず、奉齋する鏡としなさい。皇位の榮えることは天地とともに永遠のものとなる樣に。」と仰せられた。

 

皇孫瓊瓊杵尊天照大神の御子天忍穗耳尊の御子である。母は天御中主神の御子高御産靈尊の娘栲幡千姬命(たくはたちひめのみこと)である。素戔嗚尊が日神にお別れの挨拶をされようと天に昇られた時、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)がお迎へし、瑞八坂瓊曲玉を獻じられた。素戔嗚尊はそれを受けられ、今度は日神に奉つた。その後、お二人は約誓(うけひ)をされて、その玉に感應して天祖忍穗耳尊がお生まれになつた。天照大神が忍穗耳尊をお育てになられた。この上なく愛されて、掖子と云はれた。今俗に稚子(わかこ)といふのは、これが訛つたものである。天照皇太神と止由氣皇太神との二柱の大神は、皇孫の祖神である。故に名を皇孫命と申すのである。高皇産靈尊の事を皇親神漏岐命(すめむつかむろぎのみこと)と申すのである。お伴の神天兒屋命に、中臣首(おびと)の先祖である。天津諄辭(あまつのりと)の太祝詞(ふとのりとごと)を以て祓へに仕へさせた。太玉命忌部首の先祖である。櫛明玉命の兄である。は、大幣を捧げ持ち、天村雲命伊勢大神主の先祖である。阿波國麻植(をう)郡に坐す忌部神社天村雲神社の二座である。太玉串をとつて仕へた。天神地祇前後につき從ひ、天關(あめのいはと)をひらき、雲を押し分けて、前を駈けてさきばらひをし、八重雲を勢ひよく搔き分けながら筑紫日向高千穗槵觸峯(つくしのひむかのたかちほのくしふるのたけ)に天降られて、宮をお造りになられた。天日嗣を開かれ、國に君臨なされた。神と人とをととのへられ、大いなる大功を廣められ、時に恩寵を流されて、人々を鎭められた。上は天つ神の國を授けられた御惠に應へられ、下は國つ神の正しきを守る心を敬はれた。災ひを除かれて、正しきに復さしめられた。德を等しくされ、道は自然の順行に適つた。だから天下の人々、禽獸草木まで皆自得して安寧となつた。故に天地と共に無窮であり、金屬や石の樣に朽ちないのである。まことに人民自然の德は、はじめに適ひ、今に恩惠を與へてゐるのである。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 序

豐受太神御鎭座本紀一卷(以後、御鎭座本紀といふ。)は、奧書に乙乃古命(おとのこのみこと)の二男大神主飛鳥(あすか)が記したとある。ただ、今日では奧書は信じられてをらず、鎌倉初期の作とされる。この口語譯は增補大神宮叢書17 度會神道大成 前篇所󠄃收の御鎭座本紀を底本とする。大神宮叢書は延文元年度會實相書寫の卷子本(神宮文庫一門七七五號)を底本としてゐる。

口語訳 現代語訳 神道五部書 御鎮座伝記 その二十三 完

嘗て、大田命が皇大神宮御鎭座の時に、參上して狹長田(さながた)の御戸代田(みとしろた)を獻上して、地主となつて仕へた。三節祭と春秋の神御衣祭(かむみそのまつり)、臨時の幣帛、勅使參向の時に、太玉串と天八重榊を設けてお供へした。神代の古き制度を今に傳へてゐる。國神(くにつかみ)の忠神である。時に雄略天皇二十二年戊午、齋内親王と神主、物忌たち、託宣を受けて、訓傳を作つた。それぞれが大切に持つて、誰にも見せず、深くしまひ込んで隱した。大神主の大佐々(おほささ)、前大神主の彥和志理(ひこわしり)、無位神主の御倉(みくら)、大物忌の酒目(さかめ)押刀目(おしとめ)達がかしこみかしこみも申し上げます。

 

倭姬命 璽

白髪内親王 

詔書。皇大神宮の前大神主の彥和志理命。謹んで大田命訓傳をたてまつります。

 

繼體天皇の御代の丁亥。乙乃古命の二男神主飛鳥がこれを傳へ記した。神道の敎へはただの人にはみせてはならない。

口語訳 現代語訳 神道五部書 御鎮座伝記 その二十二

豊受宮御井神社(とようけのみやのみゐじんじや)

右の御井は天二上之命(あめのふたがみのみこと)が琥珀の鉢で丁寧に汲み入れたもので、天より傳はつたものである。七星が羅列して護ること、天の宮の裝ひの樣である。皇太神と瓊瓊杵尊とが天下られた時、天牟羅雲命が(あめのむらくものみこと)御前に立つて天下る時に、瓊瓊杵尊が天牟羅雲命を召されて、いはれた。「我の統治しようとする國の水は未だ飮めたものではない。酷い水である。だから、御祖の天御中主命の許に參上して、この由を傳へて參れ。」と命令された。

 

そこで天牟羅雲命は、天上に登つて、瓊瓊杵尊の御祖の前に行つて瓊瓊杵尊の仰せられたことを子細申し上げた時に、天照皇太神、天御中主神、神魯伎(かむろぎ)、神魯美(かむろみ)尊が仰せられた。「樣々な政事をお敎へしてお下ししたが、水取(もひとり、飮水)の政事を遺してしまつて、天下がまた飢餓に苦しんでゐる樣だ。どの神を天下すべきかと思つて問うてゐたが、丁度勇んで昇つて來たものだ。」と仰つて、高天原の井戸の水を汲んで、大量に器に入れて敎へられた。「この水を持つて天下り、皇太神の神饌に澤山盛つて、はじめに、このつかはした水は天の忍水と言つて、瓊瓊杵尊の治める國の水を柔らげてからたてまつれ。また瓊瓊杵尊と共に天降つた五柱の神、三十二神、他の無數の神たちにもこの水を飮ませよ。」と仰られて、天下らせた。