うみへ日記

日本の古典を硏究してゐます。YouTube「神社のお話」といふチヤンネルもよろしくお願ひします。

口語訳 現代語訳 神道五部書 豊受太神御鎮座本紀 その一

この世界の始まりに、大海の中に一つの物があつた。浮かんでをり、形は葦の芽󠄄の樣であつた。その中に神がお生まれになつた。その神の御名は天御中主神である。故に豐葦原中國といふ。またそれによつて豐受皇太神と申し上げる。天照大日孁貴尊と八坂瓊曲玉八咫鏡、草薙劔の三種の神財を皇孫(瓊瓊杵尊)に授けられて、天璽(玉璽)とされた。「この寶鏡をみる時は吾を見るが如くしなさい。お休みになる時も、公務の時も離さず、奉齋する鏡としなさい。皇位の榮えることは天地とともに永遠のものとなる樣に。」と仰せられた。

 

皇孫瓊瓊杵尊天照大神の御子天忍穗耳尊の御子である。母は天御中主神の御子高御産靈尊の娘栲幡千姬命(たくはたちひめのみこと)である。素戔嗚尊が日神にお別れの挨拶をされようと天に昇られた時、櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)がお迎へし、瑞八坂瓊曲玉を獻じられた。素戔嗚尊はそれを受けられ、今度は日神に奉つた。その後、お二人は約誓(うけひ)をされて、その玉に感應して天祖忍穗耳尊がお生まれになつた。天照大神が忍穗耳尊をお育てになられた。この上なく愛されて、掖子と云はれた。今俗に稚子(わかこ)といふのは、これが訛つたものである。天照皇太神と止由氣皇太神との二柱の大神は、皇孫の祖神である。故に名を皇孫命と申すのである。高皇産靈尊の事を皇親神漏岐命(すめむつかむろぎのみこと)と申すのである。お伴の神天兒屋命に、中臣首(おびと)の先祖である。天津諄辭(あまつのりと)の太祝詞(ふとのりとごと)を以て祓へに仕へさせた。太玉命忌部首の先祖である。櫛明玉命の兄である。は、大幣を捧げ持ち、天村雲命伊勢大神主の先祖である。阿波國麻植(をう)郡に坐す忌部神社天村雲神社の二座である。太玉串をとつて仕へた。天神地祇前後につき從ひ、天關(あめのいはと)をひらき、雲を押し分けて、前を駈けてさきばらひをし、八重雲を勢ひよく搔き分けながら筑紫日向高千穗槵觸峯(つくしのひむかのたかちほのくしふるのたけ)に天降られて、宮をお造りになられた。天日嗣を開かれ、國に君臨なされた。神と人とをととのへられ、大いなる大功を廣められ、時に恩寵を流されて、人々を鎭められた。上は天つ神の國を授けられた御惠に應へられ、下は國つ神の正しきを守る心を敬はれた。災ひを除かれて、正しきに復さしめられた。德を等しくされ、道は自然の順行に適つた。だから天下の人々、禽獸草木まで皆自得して安寧となつた。故に天地と共に無窮であり、金屬や石の樣に朽ちないのである。まことに人民自然の德は、はじめに適ひ、今に恩惠を與へてゐるのである。