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玉賀都萬一の卷の悠紀主基

本居宣長全集第一卷に載る玉賀都萬一の卷 悠紀主基[五]にいふやう、

大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師説、齋忌グナリ、といへるより、今に至るまで、人皆此意とのみ心得ためれど、ひがこと也、かの説は、天武紀に齋忌此踰既云、次此須岐云、とあるによれるなれども、齋忌こそ此字の意なれ、次は借字にして、此字の意にはあらず、古へはすべて言だに同じければ、字は、意にはかかはらず、借りて書るに、次を須岐ともいへるから、言の同じきままに、借りて書ならヘるを、そのままに書れたる物也、次の意にあらずといふゆゑは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあることなければ、次といふべきよしさらになし、天武紀なるは、借り字なること、疑ひなき物をや、主基は、禊の曾岐と同言にして、濯といふことなり、みそきも身濯にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曾岐とも須岐ともいへる也、さればこれも、齋忌と同じさまの名にして、濯き淸めたるよしなるぞかし、

該當記事

該當記事を見附けり。平成二十九年三月十三日の神社新報第三三四四號の五頁『皇室の制度と歷史』第十八回大嘗祭について也。

 

該當箇所にいふやう

「悠紀は清淨な場、主基は次ぐといふ意であり、悠紀と主基とが揃ふことで完結した世界を表すといはれてゐる。」

 

玉がつまの方は未だ調べず。

調ぶべき事

神社新報の『皇室の制度と歷史』てふ特集の何號か忘れたれど、藤本賴生國學院大學准敎授が大嘗祭の悠紀主基の名について主基を次の意と説明したるは如何。玉がつまのいづこかにこの説を否定するものあり。調ぶべし。物知り人あれば、敎へ給へ。近々報告せむ。

「逢ひ見ての」のつもりが…

名前を小倉百人一首の第四十三首、権中納言敦忠の

逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

よりahimitenoとせむと思へども、あやまりてahimitemoとせり。己の愚かさを恥づ。

 

何故此の歌よりとると問はれると、此れといふ譯無けれども、此の歌が小倉百人一首の中で最も記憶に殘つてゐたるからか。想ひ出の一首なり。

 

吾が小學校五年生の時、敎師が汝いづれの歌を好むと問ひければ、吾「逢ひ見ての」の歌を最も好むと答へり。敎師、いぶかしがりて汝歌の意を知るかと言へども、吾師の言はんとせむことを悟らざりき。當時、この歌、意しらべのむためでたしと思ひき。

 

此の歌は後朝の歌で、いはゞ目合ひの後の朝に男が女へ贈りたるなりけり。意は目合ひて後の今のそなたへの熱き想ひにくらぶれば、以前は戀ひせざるに等し、といふところか。

 

今思ふと昔はものを知らざりけり。