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主基の語源に定説無し

於是、主基の語源に定説無く、樣々の説があることが分かりぬ。しかれば、諸説を竝列して記すべきなり。さう考へると神社新報の記事は不適切と言ふべきなり。

神道辭典

ゆき・すき 悠紀・主基 践祚大嘗祭に定められてゐる二つの祭祀のそれぞれの一方の系列に關する名稱で、ユキ・スキといふ。云々。悠紀の語源的意味は、古くから湯にて清まはる云々、主基は次、濯ぎ淸む、淸忌の御膳、齋城の助、日嗣の嗣などの意であるとしてゐるが、みな祭祀上の意義から連想的に解してゐるだけで、どれが正しい意味であるかよく分からない。ユキのキは上代特殊假名遣表の乙類の假字で書かれ、スキのキはその甲類の假字で書かれてゐる。從つてユキ・スキは同一のキの意味を含むユのキ、スのキの意ではない。現在ではユキについては齋城とする以外に適當な語源的意味を見出し難い。スキについては(一)スの酒、(二)次、(三)灌ぎの三種の意味が考へられるが、(二)(三)は語尾變化のキであるから、(一)の意に解することが出來る。然しユキとの關聯を満足させ得ないと思はれるので、全體的には不明といふ外はないやうである。[文獻]田中初夫「悠紀主基名義考」  (田中初)

神祇辭典には

鈴屋の大人の濯ぎ淸めるの説と鈴木重胤先生の悠紀の次なる説とを兩論併記してゐたり。しかも鈴屋の大人の説を第一に持つて來てゐたり。いづれが定説ともいひがたくなりぬ。

 

神道辭典の田中初夫氏の意見はよりつばらかなり。田中氏は主基の語源について『悠紀主基名義考』てふ論文を書かれてゐたり。次回神道辭典を示さむ。

神道大辭典によれば

スキ 主基 大嘗祭には悠紀主基の國を定めて云々「スキ」の義に就き濯ぎ淸むる意とも、また次の字を充てたるに依りて、悠紀に次ぐの義なりとも解かれてをる。『玉勝間』に、「次は借字にして云々」と見え、鈴木重胤は、「仕奉る物も事も、悠紀と少しも異なるに非ざれば、次の悠紀とも云ふべきを、ただに次とは云ふなり」というてゐるが悠紀は齋淸、主基は淸々しく淸き意であるまいかと思ふ。(佐伯有義)→悠紀

 

上記の如く神道大辭典にあり。佐伯氏は鈴屋の大人の説をとられてゐるらし。鈴木重胤先生は次の意に解して居られたり。

 

神道辭典と神祇辭典とにも載つてゐたるを、次の記事に示さむ。

定説と鈴屋の大人の説

主基を次とするは日本書紀が主基を次と記したるに據る定説なるべし。本當にさうなのか、つばらかに調べむ。

玉賀都萬一の卷の悠紀主基

本居宣長全集第一卷に載る玉賀都萬一の卷 悠紀主基[五]にいふやう、

大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師説、齋忌グナリ、といへるより、今に至るまで、人皆此意とのみ心得ためれど、ひがこと也、かの説は、天武紀に齋忌此踰既云、次此須岐云、とあるによれるなれども、齋忌こそ此字の意なれ、次は借字にして、此字の意にはあらず、古へはすべて言だに同じければ、字は、意にはかかはらず、借りて書るに、次を須岐ともいへるから、言の同じきままに、借りて書ならヘるを、そのままに書れたる物也、次の意にあらずといふゆゑは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあることなければ、次といふべきよしさらになし、天武紀なるは、借り字なること、疑ひなき物をや、主基は、禊の曾岐と同言にして、濯といふことなり、みそきも身濯にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曾岐とも須岐ともいへる也、さればこれも、齋忌と同じさまの名にして、濯き淸めたるよしなるぞかし、

該當記事

該當記事を見附けり。平成二十九年三月十三日の神社新報第三三四四號の五頁『皇室の制度と歷史』第十八回大嘗祭について也。

 

該當箇所にいふやう

「悠紀は清淨な場、主基は次ぐといふ意であり、悠紀と主基とが揃ふことで完結した世界を表すといはれてゐる。」

 

玉がつまの方は未だ調べず。