うみへ日記

日本の古典を硏究してゐます。YouTube「神社のお話」といふチヤンネルもよろしくお願ひします。

神道辭典の主基の解說について

日本書紀の天武天皇五年九月丙戌(二十一日)の記事に以下の如くある。 丙戌。神官奏テ曰。爲新甞卜國郡也。齋忌齋忌。此云踰旣。則尾張國山田郡。次次。此云須岐。丹波國訶沙郡。並食卜。 謹譯 二十一日。神官が天皇に以下の樣に奏上した。新甞祭のための國…

口語譯 天照坐伊勢二所󠄃皇太神宮御鎭座次苐記 其の二

故に伊弉諾尊󠄄(いざなぎのみこと)と伊弉册尊󠄄(いざなみのみこと)とは、お喜びになられておつしやられた。「われらの子ども等は澤山ゐるけれども、この御子の樣に靈妙な御子はゐなかつた。この地上に長く留めておいてはならぬ。當然早く天にお送りして天…

口語譯 天照坐伊勢二所󠄃皇太神宮御鎭座次苐記 其の一 大日孁貴の御誕生

天照坐皇太神一座 伊勢國度會郡宇治鄕五十鈴河上に鎭座する 神宮に古より傳はる書物によると、伊弉諾尊が「我は地上を統治する優れた子を産まうとおもふ。」とおつしやられた。そこで左手に銅鏡*1をお持ちになつた。天鏡命の造られた三面の寶鏡の一つである。…

神道辭典

ゆき・すき 悠紀・主基 践祚大嘗祭に定められてゐる二つの祭祀のそれぞれの一方の系列に關する名稱で、ユキ・スキといふ。云々。悠紀の語源的意味は、古くから湯にて清まはる云々、主基は次、濯ぎ淸む、淸忌の御膳、齋城の助、日嗣の嗣などの意であるとして…

神祇辭典には

鈴屋の大人の濯ぎ淸めるの説と鈴木重胤先生の悠紀の次なる説とを兩論併記してゐたり。しかも鈴屋の大人の説を第一に持つて來てゐたり。いづれが定説ともいひがたくなりぬ。 神道辭典の田中初夫氏の意見はよりつばらかなり。田中氏は主基の語源について『悠紀…

神道大辭典によれば

スキ 主基 大嘗祭には悠紀主基の國を定めて云々「スキ」の義に就き濯ぎ淸むる意とも、また次の字を充てたるに依りて、悠紀に次ぐの義なりとも解かれてをる。『玉勝間』に、「次は借字にして云々」と見え、鈴木重胤は、「仕奉る物も事も、悠紀と少しも異なる…

玉賀都萬一の卷の悠紀主基

本居宣長全集第一卷に載る玉賀都萬一の卷 悠紀主基[五]にいふやう、 大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師說ニ、齋忌ニ次グナリ、といへるより、今に至るまで、人皆此意とのみ心得ためれど、ひがこと也、かの説は、天武紀に齋忌此ヲ踰既ト云、次此ヲ…