口語訳神道五部書 御鎭座次苐記 其の七

第十一代垂仁天皇(すいにんてんわう)二十五年三月、八咫鏡伊勢國の飯野高宮(いひののたかみや)から伊蘇宮(いそのみや)遷られた。倭姬󠄃命(やまとひめのみこと)がお祭りしてをられた。その後、天照大神の敎へに從ひ、(五十鈴川上の)地底の岩盤の上に大きな柱を立てて、殿社を造り、二十六年十月に度遇(わたらひ)の宇治五十鈴川上の新しい社殿にお遷しいたし、御鎭座になられた。

 

解說

第十代崇神天皇(すじんてんわう)の御代に、天皇八咫鏡を笠縫邑(かさぬひむら)に遷され、御子の第十一代垂仁天皇の御代に、天皇は皇女の倭姬󠄃命に八咫鏡を委ねて、良い宮所を探させられた。倭姬󠄃命は樣々な所を調べられて、結局最もふさわしい宮所として伊勢の度會郡五十鈴川上を見つけられた。これが今の伊勢神宮の内宮である。

 

高天原→(天孫降臨)→日向→(神武東征)→大和→(倭姬巡幸)→伊勢といふことで、つひに八咫鏡は現在の神宮に御鎭座された。ちなみに、草薙劍(くさなぎのつるぎ)もここまでは八咫鏡と同行されてゐたが、後に倭健命(やまとたけるのみこと)の手に渡り、今は熱田神宮に御鎭座する。