口語訳 現代語訳 神道五部書 御鎮座伝記 その十二

雄略天皇二十一年十月一日、倭姬命に夢のお告げがあつておつしやられるには、

 

「天照大神が、我は天の小宮(わかみや)での樣に居たいのに、地上では我一柱のみである。神饌(しんせん)も安心して食べることが出來ない。丹波國與佐之小見比沼之魚井之原に鎭座する道主(みちぬし)の子の八乎止女(やをとめ)が祭つてゐる食物神の止由氣皇太神を我の鎭座する所へつれて來て欲しい、と御諭(おさと)しなされた。」

 

この時、大若子命(おほわくごのみこと)を朝廷に派遣して、夢の樣を報告させられた。天皇は詔されて、「大若子命よ、行きて、豐受大神を奉齋せよ。」とおつしやられた。

 

故に手置帆負(ておきほをひ)と彥狹知(ひこさち)と二柱の神の子孫を率󠄃ゐて、忌斧、忌鉏(いみすき)等を以て山で木を伐り始め、寶殿を建てて、翌年の七月七日、大佐々命(おほささのみこと)弟若子命の子爾佐布命の子彥和志理命の子阿波良波命の子である。丹波國餘佐郡眞井原より止由氣皇太神をお迎へ申し上げた。度遇(わたらひ)の山田原の地下の岩盤五十鈴の宮地の樣に大田命が敷き申し上げたのである。に大宮柱忌柱といふ。また天御量柱、心御柱ともいふ。これは皇帝の命であり、國家