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玉賀都萬一の卷の悠紀主基

本居宣長全集第一卷に載る玉賀都萬一の卷 悠紀主基[五]にいふやう、

大嘗の悠紀主基の主基の事、書紀の私記に、師説、齋忌グナリ、といへるより、今に至るまで、人皆此意とのみ心得ためれど、ひがこと也、かの説は、天武紀に齋忌此踰既云、次此須岐云、とあるによれるなれども、齋忌こそ此字の意なれ、次は借字にして、此字の意にはあらず、古へはすべて言だに同じければ、字は、意にはかかはらず、借りて書るに、次を須岐ともいへるから、言の同じきままに、借りて書ならヘるを、そのままに書れたる物也、次の意にあらずといふゆゑは、悠紀と主基とは、何事も二方全く同じさまにして、一事もいささかのおとりまさりあることなければ、次といふべきよしさらになし、天武紀なるは、借り字なること、疑ひなき物をや、主基は、禊の曾岐と同言にして、濯といふことなり、みそきも身濯にて、そそくとすすくと同じきを、共につづめて、曾岐とも須岐ともいへる也、さればこれも、齋忌と同じさまの名にして、濯き淸めたるよしなるぞかし、